物心ついた頃から、漠然としたイメージの夢があった。
夜に降り積もった雪が朝には上がって、雲の切れ間からゆっくりと太陽が顔をのぞかせ始める頃、庭に積もった雪で子供達2人が雪遊びをする。
そばで私と旦那さんが笑顔でその光景を見ている。
庭付きの一軒家に住んでいて、休日には家族みんなで遊ぶ。そんな一般的に幸せと呼ばれる光景が頭の中にあった。
昔は豪雪地帯だった、北陸富山県で生まれ育ち、魚屋の末娘として産まれた私は、年中無休で働く両親共に揃って出かけた記憶は1つしかなく、その一つを今でも忘れずにしまっているくらいの幼少期だったもんで、とにかく普通と呼ばれる家庭に異様な憧れを抱いていたのです。
なので、自分の将来の勝手な幸せイメージも先のようなものだったのかなと、今では思うわけです。
大人になったら、まさか自分がその夢が叶わないセクシャリティだったとは夢にも思わず。。
10代後半や20歳をすぎる頃になると、
結婚したい?
子供はほしい?
とかよくそんな質問が飛び交うようになりますよね?
気がつけば、幼い頃の夢はいつの間にかなくなっていて、
「結婚も別にしたくないし、子供だって欲しいとは思わない。」
と答えていた私。
実際、誰かと結婚して、子供を作って。
ということに対して具体的なイメージは持てなかったし、ポジティブな考えはなくなっていました。
きっとそれは自分が同性を好きになる人間だと気づき始めていたから。
(ちなみに私、25歳くらいまでバイだと思っていたのですが、今はほぼ100%レズです🙋♀️)
出来もしないことを望むのはおかしい。
世の中の普通と呼ばれる結婚も子供も、頭のどこかで諦めていたのでしょう。
自分が同性愛者かもしれないと思い始めた頃から20年以上が経ち、世の中でやっと、同性婚が出来るかもしれないという気配を感じ始めた今、その事に向き合って真剣に考えたときに
「あ、私諦めてただけなんだ!」
と初めて気づいたのです。
実は、Instagramでも子供の日常をイラストや漫画にして投稿している人を結構フォローしている私。
コミカルに描かれる子供の日常。
日々感じる体験。
子供って面白いなー、可愛いなーと思わせてくれるそれらの投稿は、私が得ることができない日常を教えてくれるものです。
友人達が次々に母になっていく。
子供を育てる想像は今でも具体的にはできないけれど、正直その経験がとても羨ましい気持ちはあります。
そこには大変な苦労があることもわかるのですが、その分の大変な幸せがあることも想像に容易いからだと思います。
最近、FFのTwitterを始めたのですが、
LGBTQの人達のツイートを拝見していく中で、自分が考えてたより遥かに多くの人が
実際に子供を持ち、育てているという現実を目の当たりにしたのです。
現実にはこんなに沢山の人があらゆる方法で
子供を持ち、同性間でも子供を育てることが出来るんだ!
まさに、目から鱗。
そしてタイミングもよく、先日私たちのFFオフ会@zoomでは
テーマ「子供」
という会をやらせていただきました。
同性間での子供がテーマということで、
なかなかデリケートな問題だし、
人数集まるのかな、、と思っていたのですが、
10人程の方々にご参加して頂きました。
結論から言うと、
LGBTQと子供についての考え方、方法って千差万別!!
ということです。
・子供を持って将来を真剣に考えれるパートナーに出会いたい。
・カップルで一人は子供が欲しいと思っているが、思いが同じではないかもしれない。
・里親になりたい。
・ゲイ男性とレズビアン 女性で子作りをしている。
など、様々な想いを聞いたなら、
私も頭がまとまらなくなり、
ほぼ、
んーなるほど〜
としか言えなくなる2時間。
しかしながら、この会は、
自分の無知さを知り、
新たな知識を皆さんに与えてもらえた、
とてもよい機会でした。
同性間で子供を持つにしてもいろいろな方法があるそうで、
詳しくまとめてくださっているサイトがあったのでこちらをどうぞ👇
https://madokasuzuki.com/lgbt-family/
これを書いてて思ったのは、
幼い頃のわたしの夢は、
当たり前だと形成されてきた概念に当てはめなければ叶うのです。
努力すれば庭付きの一軒家に住む事はできるし、
そばにいる人は愛してる人が良いので、奥さんでよくて、
2人の子供は血が繋がっていようがいまいがどちらでもよくて、愛情がそこにあるのなら家族になれるのではないかと。
今のこの国の制度、環境でその道は簡単じゃないだろうけど、本当に望むのならもう我慢も諦める必要もないんだということ。
多くのLGBTQとして生き、ファミリーを作っている先駆者の方々に感謝と敬意を込めて。
そして、少しづつ変わっていくこの世界に明るい希望を抱いて始まる
7月の朝。
おはようございます。
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