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執筆者の写真Haruno

ボンキュッボンのカミングアウト

更新日:2021年10月15日



カミングアウトってなんだろう?


1度カミングアウトすれば済むのだろうか。そうではない。人生の中で出会う人、出会うソーシャルな場の数だけ、自分のセクシュアリティを隠した方がやりやすいと感じる時もあれば、オープンにしてもいいやと思う時もある。私にとっては、そのオープンにしている時間がこの世界に対して「カミングアウトしたとき」もしくは「カミングアウトできているとき」である。


私のカミングアウトは、幼少期は広範囲に、思春期には閉鎖的に、現在はまた広めに戻った。スリーサイズに例えると、私の体型とは正反対のいわゆるボンキュッボン型だ。

幼少期から女性に性的魅力を感じられずにいなかった私は、そもそも「同性を好きであることが後ろめたい」という感覚がないため、周囲の目を気にせず園児の段階でクラスメイトの女の子を追っかけ、結婚の約束まで取り付けさせた餓鬼だった。大人はこの段階ではママゴトとしてシリアスに取り扱わないから、この時点でのセクシュアリティへの矯正などは受けた記憶がない。


しかし思春期に入ると、女子は男子を好きになるものというプレッシャーに幾度となく阻まれる。好きだった子にも「〇〇が男だったらなー」とやんわり断られる。「彼氏の話」ができない私に恋バナというグループ・エンターテイメントは一向に訪れず、孤独感、自信喪失、疑心暗鬼、社会での自分の価値を幾度となく疑って辛かった。


社会人となってからは、学生という見えない籠から飛び出ることができ、同じセクシュアリティや哲学を持つ同志に会うことができた。一生を共に考え生きようと話し合える人々に出会ったことで、自分の人生を肯定的に捉える気持ちが増幅した。それと比例するように「カミングアウトしている時間」が増えた。自分が社会のどの部分に属しているか、どのコミュニティと繋がるか、周囲の環境をどう整えているか、それらはとても大きく影響している。

ここから数年〜数十年、セクシャルマイノリティの人々にとってどんな時代になっていくのだろうかとふと思う。いつの日か、カミングアウトが当たり前になりすぎて、ボンキュッボンのメタファーが和服の似合う寸胴体型になる日を楽しみに。

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